杉原敏行。
本名、杉原敏行。
今回の役名も「敏行」。
自分の名前が役名だとかなり恥ずかしい。
愛知県出身(名古屋じゃない)。
大阪芸術大学入学後、大阪の小劇場で演劇活動を始める。
在学中に出演した映画「鬼畜大宴会」がぴあフィルムフェスティバルに入賞。
ちなみにこのときの役名も「杉原」。
恥ずかしい。
大阪芸大、卒業できず中退。
上京し、劇団東京乾電池の研究生を経てフリーで活動。
したけどロクに働かず芝居ばかりしてたので、借金を作り家賃が払えずアパートを追い出される。
ちょうどその頃、大阪時代の友人から劇団を作らないかと誘われひょいひょいと大阪へ。
劇団を旗揚げ。
したものの、消滅?
気が付いたら大学時代の先輩の劇団オリゴ党に所属。
大阪を中心に活動したものの、結果的には借金は膨らむばかり、役者活動の休止宣言。
人生に一度くらいは就職というものをしようと。
役者でなければ何をしたいか考えたところ、子どもが好きだったし、なんかそっち系がいいなと思い。
保育士の資格を取るべく愛知県の実家に帰って勉学に励む。
が、落ちる。
勉強二年目に突入しようとしていたところで、石川県(北陸!)の児童養護施設で保育士資格がなくても
働けるところをネットで発見。
ずっと芝居してましたと面接で話したら、子どもたちに芝居を教えてくれと一発採用。
石川県の児童養護施設で子どもたちに「杉原先生」などと呼ばれながら生活。
なにげに役者時代に培ってきた経験が重宝される。
そして借金返済!!
多少の貯金もできると、また芝居をしたくなるもので。
惜しまれながら(?)退職、そして再びの東京へ。
もう二度と借金なんかするもんかと思いつつ、細々と芝居をしている42歳、ザンネン男子。
昨年の青森県のせむし男フェスティバルにて作・演出を手掛ける吉田氏と出会い、杉原の背中が寂しいから
というよく分からない理由で、今回の出演に至る。
そして今回の役名は「敏行」。
とても恥ずかしい。
≪出演作品≫
映画『真っ赤なポピー』(松本花奈監督) 主演
映画『真夏の夢』(松本花奈監督) ヒロイン
舞台 観覧舎『回帰熱』馬場仁美役
舞台 team 3E オムニバス公演『フロントコールは0番へ』
≪次回出演予定≫
2016年3月 セミナーズ オムニバス公演
早稲田大学演劇サークル劇団こだま出身。
舞台芸術学院、劇団昴演劇学校、円附属養成所にて学ぶ。
現在は、創造集団g-クラウドの主宰・演出をしつつ、俳優としてはフリーにて活動。
創造集団g-クラウド勉強会にて公演を重ねた後、JOKO演劇学校で学び、劇団NLTに入団。
その後、フリーとして活動。
2013年利賀演劇人コンクールにて、世田谷シルク『冒した者』奨励賞、観客賞受賞。
2016年4月、K-FRONT+『罠』に出演予定。
東京都出身。
≪出演作品≫
EgHOST第7回公演「琥珀-elektra-」@SPACE雑遊
参加型LOVEコメディ「恋のあるある会」@表参道GROUND
深川とっくり座39回公演「春の大とっくり祭り」@深川江戸資料館小劇場
ふたり芝居「ワンフレーズ」@wanizhall
JOHNNY TIME公演「私が私でいられた最期の12日間」@エビス駅前バー
TAMURATIMES 3@ワニズホール
萬劇場夏のショートコレクション「ナーナ☆ガール ダッシュ!~もう1つのアナザーストーリー~」@萬劇場
1990年、群馬県の生まれ。
大学時代に芝居の勉強を始める。
勝田声優学院、talk back卒業。2014年初舞台、以後何作か舞台に出演する。
現在は、声優事務所カレイドスコープに身を置く。
Twitter: https://twitter.com/satoshi1859
1975年、埼玉県生まれ。
2006年3月、文学座附属演劇研究所本科卒業。
趣味はドラム・世界地図を見ること、世界の音楽を聴くこと。
≪出演作品≫
【映画】
2010年「昭和の紅い灯」(監督:愛川欽也)
2011年「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男~」(監督:平山秀幸)
2012年「黒駒勝蔵」(監督:愛川欽也)
2013年「ひいなごと」(監督:イワタひろこ)他
【ドラマ】
2010年「咲くやこの花」(NHK)
2012年「港古志郎警視2」(テレビ埼玉)
2013年「港古志郎警視3」(BS11)
2014年「怪生伝」(フジテレビ)
【Vシネマ】
2008年「ほんとうにあった怖い話」(第11話)
2013年「ほんとうにあった怖い話」(第14話)他
【舞台】
2004年ミュージカル「A COMMON BEAT」
2005年「時計」
2006年「アニマルファーム」
2007年「フィガロの結婚」
2008年「どこでもない場所」
2009年「昭和の紅い灯」
2010年「居酒屋はな」
2011年「命を弄ぶ男二人」
2012年「小さい女」
2013年「人は来たりて見よ」
2014年「戦争で死ねなかったお父さんのために」他